ON THE ROAD 2006-2007 "MY FIRST LOVE is Rock'n Roll" in 松戸市文化会館 森のホール21
Spt 15th Set-List & Report
Opening
・緞帳が開いて最初に驚いたのが自分の前にいるはずだと思っていた町支さんがいなかったことです。
・バンドメンバーの配置はステージ向かって左側に古村・町支、右に美久月・長田そして後方左から小島・小田原・福田そして中央に浜田でスタートでした。
■A PLACE IN THE SUN
・意表をついたオープニング、自分にとっては84年の横浜スタジアムを思い出させてくれる曲でした。
■光と影の季節
・オープニングはこれかもって思っていたのですが、やはり始めのほうにもってきてくれましたね。
■HELLO ROCK'N ROLL CITY(MATSUDO CITY)
・ツアーにはやはりこの曲!
「コンサートに来てくれて、どうもありがとう!」
「三階のみんな少し高くて遠いけど大丈夫?届いてるぅ?」
「2階席はぁ?」
「へい、じゃ1階は?」
イェーイ、客席の歓声
「楽しい夜にしたいと思います。ミュージシャン、スタッフは頑張ります!
そしてみんなひとりひとりの気持ちで今日の充実したライブに
2006年9月15日のこの夜をいい夜にしたいと思います。最後までどうぞ宜しく!!」
・ベース・ドラムが軽快にリズムを刻み始め・・・
長田さん紹介「ギター、長田進!」
■この夜に乾杯!
・サキソフォンソロで盛り上がりが最頂に
古村さん紹介「サキソフォン、古村敏比古!」
■旅立ちの朝
「この曲知ってるかい!?」
■二人の絆
「やぁ、え〜忙しいなかこんなにたくさんのひとが集まってくれて本当に嬉しいです。どうもありがとう!
今日はですねON THE ROAD 2006のまま2007と続くんですが、コンサートホールの初日です。
どうして松戸になったのかよくわかりませんがぁ、何か縁があったんでしょう!」
「浜田省吾のコンサートは松戸からスタートしたんだよなぁ、とかいろんなことを思い出すと思いますが・・・
来てみると、こんなに素晴らしいホール、そしてこんなに素晴らしいお客さんですっごい嬉しいです。」
「まぁこのあたりで・・・座ってください」
「松戸に来るのはねぇ、久しぶりなんですよぉ。始めてきたのは、調べたところによるとねぇ・・・」(モニターあたりにアンチョコが;笑)
「1980年の1月9日、松戸市民会館というところですね、まだありますかぁ?」あるよーの声
「なくなったの?、あるんだねぇ、そこでぇ、たしかお客さん多分300人くらいだとおもうんだよね、印象としては、でそのときに
『また来るからねぇー』っていってちゃんと次の年、81年の(またアンチョコを覗いて)7月18日に来てますね、ちゃんと、また市民会館、
そのとき来たってひといる?(ちらほら手が挙がる)・・・ほんとぉ、俺どんな服着てたぁ?、81年ていうと俺いくつだ?27のときかな、ふふ計算できないや、
で、そしてそのときもまた『また来るからねぇー』ってちゃんと次の年も来てるんだよ。それはね・・・(またまたアンチョコ)
82年の5月14日、ちょうど町支が5月5日ですから、30歳になった直後ですよねぇ、ON THE ROADというタイトルが付いた、武道館をやった年の春、4月からスタートして
すぐに来たんだね。おそらく、そのときもいっぱいではなかったと思うけれども『また来るからねぇー』って『会おうね、すぐ、再会を楽しみにしています』・・・と言って
それ以来です(笑)・・・なんと25年ぶりです!
帰ってきたぜ!!・・・
のちほどゆっくり年代別チェックはしますけどね、
少なくともそのとき来た人は相当いい大人になってると・・・思います
今回のツアーはね、2001、2005とアリーナツアーをずっとやってて、
特に去年は「MY FIRST LOVE」って新しいアルバム作って、それからアリーナツアーに出て、
まぁ大きな街でしかやってないんでね、
今年丁度ソロデビューして30年(歓声があがる)
まぁ、大体そうゆう時はですね、
普通はたとえば東京とか、横浜国際競技上とかでですね、
涙の30年支えてくれてありがとうみんなぁとか、そうゆうのやるんですが・・・
俺は一応やろうと思ったんだけど、よく考えまして自分にあってないなぁと思ってですね、
こうしてルーツに帰って日本中のコンサートホールを回るということを選びました。
ですからこれが、俺にとって、ミュージシャンになってからはもう少し経ちますが、ソロデビューして30才のパーティです、
お酒も食べ物も何も出ません、そのうえ会費制のパーティーですが
気持ちと音楽でみなさんを、楽しませて、俺たち自身も楽しんで、みたいと思います。よろしく
と言うことで、今回ひとつは「MY FIRST LOVE」っていう新しいアルバム、そして30年というのを一緒にして"MY FIRST LOVE is Rock'n Roll"というタイトルで回ってます。
だから新しいアルバムからもやりますし、めちゃくちゃ古いアルバムからもやります。
次に聞いてもらう曲は、その新しいアルバムのなかで一番気に入ってる曲で・・・誰かどこかで
■誰かどこかで
ありがとう、「MY FIRST LOVE」っていう一番新しいアルバムのなかから『誰かどこかで』でした、
あのアルバム持ってる人っている?(歓声が起こる)
うれしいなぁ・・・、やっぱり、だんだん何枚も何枚もアルバムを作っていくとだんだん前のアルバムよりいいものを
作るのが難しくなってきちゃうし、プレッシャーもかかってくるんだけど
自分なりにすごくいいアルバムが出来たと思ったのですごい充実したツアーにできます。
さて、今の歌も男と女の出会いの歌なんですけれども、ちょっともうかなりねじれた感じの出会いの歌なんですが
今から歌う、続いて何曲かやるんですが、これはいきなり1970年代まんなかあたりに戻って、え〜昔の歌です。
よく言うんだけれども、最近は世の中こうのんびりしていて人生も長いから30が成人式だよねぇ、30になってやっと大人だよねぇって言うんですが
そうしてみると、30年て言うことはやっと成人になったのかなぁって思います。
ていうことはこの歌をつくった77年とか78年の頃って言うのはまだ歌を作りはじめて3年ですから
ほんとにヨチヨチの頃ミュージシャンとしては、ソングライターとしてはベイビーの頃だったんだなぁと思うんですが、
まぁその分一所懸命さが伝わるし客観的にねぇソングライターとして30歳下の男の子が作った歌としてみればほのぼのとして頑張って作ってるなぁと思います。
どちらも、え〜すごい、わかぁい恋人達が主人公で、ひとつは『光』だし、ひとつは『影』、気に入ってもらえたら嬉しいです。
■君に会うまでは
■散歩道
ありがとう、77年かな『君に会うまでは』は、そして78年『散歩道』、でした、はい
小島さん紹介「素晴らしい美しいピアノを弾いていつも聞かせてくれるのは小島良喜くんです」
そう、76年にソロデビューした、これを今回のツアーひとつのテーマで
音楽を中心にして自分で自分をお祝いしてあげようと、みんなと一緒に祝ってもらおうと(歓声)そんな感じで
このあたりは70年代がテーマなんですが、70年代なかばでもう充分大人だったってひとはどれくらいいるのかなぁ?覚えてるかなぁ・・・
いまからですね、福田君がその当時のことを、
語らせたらもうこの人の右に出る人はいないですからねぇ、このバンドのなかでは
福田さん紹介「オルガン、シンセサイザー福田裕彦、彼が当時のことを話します」
ビートルズLet it be をバックに
[福田]
大阪万博、よど号事件、三島由紀夫事件、このみっつの出来事がくっきり記憶に刻まれてる人間は、言うまでもなく相当年寄りだ、残念ながら、福田はよぉく覚えている。
1970年日本はまだ60年代の高度成長の夢を見続けた。僕は中学1年生「ロックを聴くと不良になる」という両親の言葉を真剣に信じた。
ま、実際両親は正しかった。
バックは白い恋人達(トワエモア)に
1972年沖縄が返還され、札幌オリンピックが開催、横井庄一さんが「恥ずかしながら・・・」とジャングルから帰ってきた。
戦争の記憶はどんどん薄れ、世の中はどんどん軽くなる。しかしそんな甘い期待は第四次中東戦争によってこなごなに打ち壊された
所謂、オイルショックが日本を襲った。
バックは神田川(かぐや姫)に
1973年日本経済は大パニック、トイレットペーパーの買占めに急ぐ庶民、そして、とてつもない就職
大学卒業後の未来も希望も見出せない浜田省吾は、この年大学を中退し、故郷広島に戻った。
翌年も続く経済の混乱、高度成長のツケとして噴出するさまざまな経済問題
世相は暗くすでに万博のスローガン「人類の進歩と調和」は過去の遺物だ
そんななか浜田省吾はもくもくとドラムを叩いていた
バックはいちご白書をもう一度(ばんばん)に
1974年 14年間続いたベトナム戦争が終わった
うつ状態に陥ったアメリカ軍はもうメッセージ音楽としてのロックは必要ではなくなった
その影響で日本には所謂シティミュージック感覚が溢れるバンドが数多く登場した。そんななか浜田省吾のバンド愛奴もデビューした
舞台にはバー風のカウンター・テーブルがセットされメンバーがおのおの席に着きたばこを吸ったりしてバーセット完成
バックは春一番(キャンディーズ)に
そして1976年、町支寛二が大恋愛、駆け落ちの末甘い新婚生活を送り始め、18歳の古村敏比古は・・・
<帽子にジャケットのちょっと懐かしいいでたちで省吾が登場>
23歳の浜田省吾はアルバム「生まれたところを遠く離れて」でソロデビュー
とにかく・・・
ライブハウス、スナック、居酒屋、デパートの屋上でサングラスを掛けた無名のシンガーを目にするのはデート中のカップル、
そして通りすがりの、あるいは酔っ払いたち
彼らはそこで、この歌を聴いた・・・
[懐かしいいでたちの省吾]
こんばんは、浜田省吾です
東京から来ました。生まれは広島です。
え〜とおそらく、ついこの前デビューしたばっかりなんで、レコードも全然売れてないですし、みなさん僕のこと知らないと思いますけど
一応何曲か歌わしてもらいます。
もし、知ってたら、ひとりでもレコード買ったひとがいて、知ってたら大きな声で歌ってください。励みになります。
・・・泣くかも知れません。
・・・やじらないで下さい。
30分くらい歌ったらすぐ帰りますから、あとはゆっくり酒でも飲んでください、よろしくぅ
あのぉ。ところで、四五日(しごんち)旅をしているもんですから、
下着とか靴下とか、ねぇ替えてなくて、だれか洗濯機貸してもらえませんか?
明日、朝取りに行きますから、干してなくていいです、
そのまま持って行きますから、お願いしまぁす。
・アコギ一本での省吾の「路地裏」はわたしにとっては今日が初めてのことでした。驚きと感動です!
「いっしょにうたってくれよぉ」
■路地裏の少年(ショートバージョン)
・ギターとブルースハープ、そしてみんなの手拍子だけの曲、嬉しい限りでした。
ありがとう・・・可愛く装ってみました。
ま、さっきも言ったけどねぇ、この歌を書いたのは、1975年だから22だったのかな
まだまだソングライターとしてはね、本当に子供で、すごい大袈裟でね、感傷的で、自意識過剰でね
まぁ、若いときってみんなそうだと思うんだけども、でもなんか今聴いてみると、まぁ一所懸命、一所懸命書いてるなぁと思いました。
次に演奏する歌も、やっぱり同じ頃に作った歌ですが、
その時は自分のことをめいっぱい「俺ってこうなんだ、俺ってこうなんだ」って歌ったつもりっだったんだけど
今聞いてみるとこれって、両親に対して、両親のためのラブソング見たいなもんなんだなぁって
つまり、まだその頃には「家族」って言うのが、兄弟、両親しかいなくて、愛する人はやっぱり自分の父や母だったし
親父と俺はしょっちゅうぶつかったけど、おふくろなんかもおれのこと面倒見るのが当たり前だぁと思ってたけど
ひとりになって歌を書き始めると、そこにしっかり彼らの愛情ってのは自分のなかに育ってたんだなぁってことをやっと50代になって気が付きました
・バンドメンバーはそれぞれの持ち場にいつの間にか戻っていて、ピアノ伴奏から始まりました。
■生まれたところを遠く離れて
・この曲久しぶり!やっぱりファーストアルバムのこのあたりの曲は胸に染み入るような思いでした。
・そして緞帳が閉じたかと思ったら
ショートムービーです!
正直、かなり見入ってしましました。配役は小泉今日子さんしかわかりませんでしたが、子役達はどの子も素晴らしい!
何か事情があって転校した主人公の男の子田中健一、そしていじめっ子、隣の席の可憐で可愛い女の子
[いじめっ子]「おまえんち父ちゃんいないんだって」[健一]「あぁとうちゃんあまってたら貸してくれよ」よくぞ言い返した!
[いじめっ子]「おまえってかわいそうなやつなんだなぁ」本当に悲しくなってくる台詞でした。
お父さんのレコードを盗み聞いて覚えた「A PLACE IN THE SUN」を口ずさみながらのシーン、健一が意地を見せる場面
ちょっと不覚でした、小学生の頃、自分が転校した頃のことを思い出し思わず涙が・・・
妹役の女の子がこれまた可愛かったんですよね
(これって、この続きが見たいですよぉ、また映画が出来るのかも!?)
・そして、緞帳がまるでシルキースクリーンのように透けて見えて、バンドが演奏開始、緞帳がゆっくりと上がり
■初恋
・もちろん昨年そして今年来年と続くツアーの一番のテーマはこの曲に集約される。
浜田省吾というソングライター・シンガーを育て、培ってきたモノが数多く詰め込まれた一曲
・舞台スクリーンには歌詞が英訳されたセンテンスで縦に横に流れていく
・サックスの叫ぶような音色で始まった!
■勝利への道
・わたしにとっては常に前向きでいなければと思わせてくれる曲のひとつです。
・オゥー、省吾の叫びにみんなも答える
ドラム音が始まり、小田原さん紹介「ドラムス、小田原豊」
そこへベース音が乗っかり、美久月さん紹介「ベース、美久月千晴」
日本人てのはは、あまりこう、現在踊る習慣ていうのは、まぁごく一部の若い子にはあるけど、基本的にはあまりない。
でも日本人だって昔から踊ってた、たとえば豊作を祈ってたり、感謝してとか、大漁を祈願したりとかね、そんなときみんな踊ってた。
何が言いたいかというと、一緒に踊ろうってことだよ
全然そんなに上手に踊れる必要はない、俺だってそんなに踊りが上手いわけじゃない
狭いし、隣の人にぶつかってもなんだし、ただ、体を、ビートに併せて、一緒に踊ってくれる?
オーゥイェー、オーゥイェー
オーゥイェー、オーゥイェー
・省吾の扇動する叫びに会場も大きく反応する
■土曜の夜と日曜の朝
・ダンスソングのツアーの定番と言えますよね。
「かけ上っていく」の箇所はやっぱり下の音で歌った。上の音の頃が・・・54歳だもんなぁ・・・
って考えちゃいました。
・曲中に「世代別調査」!踊りながらやるのぉ!?
さてここで、恒例の世代別調査しまぁす。
なかには答えたくないってひともいます。別に答える必要はありません。無理やりやるもんじゃないですから。5歳くらいサバ読んでも大丈夫です(ってオイオイ5歳じゃオイラは世代が下がらないよ;汗)
ただ、俺はけしてみんなの年が知りたいわけじゃないんです。
きみたちが一人一人が生きてきた年月を誇りに思ってこの会場の、俺はここにいるよ、わたしはここにいるよという存在を証明して欲しい。
わかる?いくよぉ
では10歳未満-パラパラ
いたねぇ、はい、いい子に育ってね
・会場最前列にひとり、ステージ上省吾が近寄り、子供と握手する。
OK10代-パラパラ
はい、よく来たね、お父さんかお母さんと一緒だねぇ。
それでは20代-チラチラ
言っとくけど10代20代は一番キツイ時代だよ。よく青春時代で美しいなんて言われるけど、そんなことはない、10代20代が一番キツイ
先は長いし、何も持ってないし、経験もないし、ホルモンだけはすごい回ってるし、でも今頑張ればもうすぐ夏になるからね、体はキツくなるけど、
OK30代-多数の反応
30代多いねぇ
じゃ40代-多数の反応
この誇らしい30代と40代を見よ!いい感じだねぇ、まさに人生のいちばんいいときかも知れない(わたしは。え”そうなのぉ!?)たのしんでねぇ
では50代-チラチラ
俺も50代だけど、まだまだやれるよねぇ
では60代以上のかた
ずっとずっとコンサート来て下さいね
OK、例え君が何歳だろうと、結婚してようとしてまいと、子供がいようといまいと、仕事で成功していようと失敗していようと、ただひとつ言えることは
今、この時間、空間、今、ダンスしているということ
だから恥ずかしがらないで叫んでみよう
オーホ、ホーホ、ホッホ
・再び省吾の扇動する叫びに会場も大きく反応する
■Thank you
町支さん紹介「ギター、町支寛二」
■I am a father
・昨年のツアーからコンサートのメインの曲のひとつになっているんじゃないかな
会場は本当に最高潮に達していることを感じました。
・舞台スクリーンでは時任さんの例のプロモの画面が流れる
■J.BOY
・わたしはどうも以前の古村アレンジのほうが好き!、16ビートアレンジ、まぁストリングスがなくなって少しはいいのだけれど
長田さんのキターソロ
そして古村さんの見せ所、ソロサックス
音楽始めたときにおれ、こんなに長い間やれると思わなかったんだけど、こうして長く一緒にいろんなスタッフやミュージシャンとプレイできて、何がいちばんご褒美かっていうと、やはり素晴らしい人たちにたくさん出会えたことです。
俺たちがロックを始めた頃っていうのはそんなに、音楽をやるとお金が儲かるとかっていう時代じゃなくって
ただただ、まあせいぜい音楽でメシが食えたらいいなぁっていう程度で、そんな気分でやってきたんだけど、長くやってきていろんな人に出会えて、特に、素晴らしいミュージシャンに出会えたのが、それが最高のご褒美かなぁと思います。
ミュージシャン紹介します。大きな拍手を
ドラムス小田原豊、ベース美久月千晴、ギター&ボーカルアレンジメント町支寛二、ギター長田進、オルガン・シンセサイザー福田裕彦、サキソフォン数々の楽器古村敏比古、そしてピアノ小島良喜
どうもありがとう!
・小島さんの本当に胸にしみるピアノの音で始まった
■家路
・バックにはネットでも公開されたプロモーション画像が流れる
わたしにとっては、この曲は1980年頃のいちばん好きだった曲でアルバム「HOME BOUND」は好きなアルバムの一位ニ位くらいに思う
長田さんと町支さんのツインのギター演奏部分は先回のツアーに続ききっとライブのいちばんの見せ場ではないだろうか
「素晴らしい」のひとこと
(ENCORE 1.)
どうもありがとう!一緒に歌ってくれるかなぁ
■ラストショー
・やっぱり、あの手を振るダンスはこの曲には合わないと思うんだけど・・・
曲の内容は元気よく手を振るにはちょっと・・・とわたしは思うのですが
■MONEY
・「愛してる愛してる〜」省吾さん自身の声で歌ってくれました。ちょっとファルセットで
(ENCORE 2.)
■君と歩いた道
・舞台スクリーンにはプロモの画像が流れて、何故だかこの曲を聴くとまぶたが熱くなってきてしまいます。
ありがとう、これからまぁ来年ずっと、夏くらいまで続く、まぁまだ終わりは決めてないんですが、続くこのホールツアー
松戸のみんなのお陰で、とても良い感じでスタートできました。どうもありがとう
前回のホールツアーは1998年の春、川口からスタートしたんですが、それから2年半コンサートやってアリーナツアーをやる頃にはもう4年ぐらい経ってて、え〜、ホールツアーは8年ぶりなんですよね、ですから、これからもいつ戻ってくるのかわからないんですけど、すごく長いタームなので・・・
みんなにとっては「ずっと帰ってきてないよ」という間も俺たちはずっとツアーをやってるんで体力と気力が伴って続く限り、いつの日にか、お互い元気に再会できると思います。その日をすごい楽しみにしています。
今日はどうもありがとうございました。
■日はまた昇る
・わたしはこの曲はあまり好きじゃないんだけれど、今日は一所懸命に聴かせて頂きました。
歌詞の情感に浸るためには大きく手を挙げて叩くのは良くないんじゃないかなぁ・・・などと思いながら、手も叩かず聴き入っていました。
(ENCORE 3.)
・天井から例のミラーボールが出てきて、
ありがとう、ものごとにはなんでも最初と最後というのがあって、今日が最初です。
しっかり準備はしたけどうまくいくだろうかとスタッフも俺たちもすごい心配したけど、みんなのお陰ですごいいい夜になりました。
アリーナツアーだとねぇ、後片付けも朝までできるから、4時間ぐらいやってるようなときもありますが、コンサートホールでやるときはこのあとスタッフが片付けて次の街に行かなきゃいけないので、本当は9時には終わらなければいけないのに
・・・今、何時だよ!いったい(笑)
でも、まぁ
今日はどうもありがとう
帰り道、車で帰る人、夜道を歩く人自宅までしっかり元気に帰って、また会える日を楽しみにしています。
どうもありがとう
■ラストダンス
・エンディングの定番になっていますね、わたしにとっては1982年の1月12日の武道館コンサートを思い出させてくれる曲です。
全般を通して、美久月さんの笑顔、長田さんの真剣そのものの顔、が印象的でした。
長田さん、ちょっとミスもあったんだけどそんなものは気にならないくらいのいい演奏でした。
美久月さん、少し太られた!?(知人は痩せたんじゃない!?っていうのですが・・・)、安心して聞けるベース、さすがでした。
小田原さん、最初から最後まで歌いながらのドラム演奏で全部歌詞も覚えていらっしゃるんだと感心しました。
町支さん古村さん、いつもなら、町支さんが目の前のはず、ちょっと寂しかったなぁ、でもお二人の楽しい動きはやっぱり遠くても目が行きました。
小島さん、家路のピアノは本当に素晴らしくて、その音だけで胸が熱くなってしまいました。
福田さん、靴がきつかったんですね(笑)ジャンプや首振りあまりなかったのでよかったでぇす。
(帰りの電車がたまたま同じで、同じ車両の同じシートに隣り合わせて座らせていただいて、一杯飲んだこと、靴がきつかったことなどお話が聞こえておりましたので;苦笑)
そして、なにより省吾さん、あなたはまた若返ってしまいましたね。キーは下がったけれど
また素晴らしい感動をありがとうございました。
(人の記憶を集め繋ぎ合わせているので記載ミス等についてはご容赦下さい)
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