「素敵な夜を、どうも ありがとう」(1982年1月12日日本武道館レポート)



この日は靖国通りを市ヶ谷方向からゆっくり歩いて九段下「日本武道館」まで行きました
今はなくなりましたが、通り沿いに「ロバのパン屋さん」があったのを何故かよく覚えています(懐かしいなぁ・・・)

靖国神社脇を越えて歩いていると多数の観光バスがいたのですが、ナンバープレートを見ると本当にいろんな地域のバスがありました
全国から観光バスで武道館へ来てるんだ!?

会場に入った時の武道館の広さは驚きでした(今となってはそんなに大きな会場には思えないのですが)
僕の見ていた浜田省吾さんのステージは市民会館や文化センタークラスの会場で、それも埋まりきっていない印象ばかりなのですから

会場内を見渡すとステージ正面にしつらえられた機材類!?(ライブテークの録音のためのもの)結構場所をとってましたね
そしてステージ両脇のサイドには大きな黒い布が掛けられていました
かつて見たことの無い人・人・人・・・

コンサート前
もう、自分の中ではドキドキ感がどんどん増してきていて、あの独特の緊張感の状態です(汗)
こんな広い会場でどうなるんだろう!?・・・

ステージセンター少し奥に鈴木の俊ちゃんが登場し、リズムを刻むバスドラの大きな音が始まりました
FUSEのメンバーが登場し、ホーン・スペクトラムとともに始まりました
(僕の大好きな曲です!!)
舞台上にはドライアイスのスモークが広がり始めました

エンジ色のレザーパンツにジャケット姿の省吾がリズムに合わせるように拍手しながらステージに登場しました

もちろん、始まったばかりなのにもうすでにテンションは最高潮(笑)
一曲めは

1.『壁に向かって』

でした
ファーストアルバムのなかで何度も繰り返し繰り返し聴きまくった、大好きな曲
大きなリズムを刻む音のなか、よく見るとどのメンバーもカチンコチンに緊張している様子です(汗)
いつもと違う雰囲気が嫌でも伝わってくるのです。まぁ、こちらも緊張してましたから(笑&汗)
続けて

2.『明日なき世代』

「やあ!コンサートに来てくれて、どうもありがとう
今夜は、みんなに聴いてほしい、そして、聴いてほしかった歌がたくさんあります
だれにも、なんにも遠慮しないで、最後までゆっくり楽しんでください」
ゆっくり、噛み締めるように省吾は言いました

3.『青春のヴィジョン』

(僕は頭の中では一緒に歌っていましたが、これもレコードよりライブがいい曲です!)

4.『土曜の夜と日曜の朝』

おそらくこの時点でも落ち着いているかに見えたのは省吾だけでした
お決まりのパターンで曲中MCです
「今夜は24チャンネルで、ライブ・レコーディングをしています
みんなの、熱気を俺のアルバムに刻み込んでほしいと、思っています
一緒に歌ってくれるかい?こんな風に
♪dance dance dance with you」
会場内は叫び声にも聞こえる声・声・声
(自分の声がレコードに入っているかもしれないわけですから、この興奮は何にも譬えようがありませんね;笑)
もちろん会場も
♪dance dance dance with you
省吾がそれを受け止めて、掛け合いになります
「I just want'a dance with you」
曲が終わりFUSEの演奏が終了したあとも、会場は
♪dance dance dance with you
が続いたのです
(やはり、特別なんだ!という想いが込みあがった瞬間でした)
「ここ2,3年はずーっとコンサート・ツアーに出かけていて 東京でのステージっていうのは本当に数えるほどしかなかったんですが
今夜、こんなにたくさんの人に集まってもらえて、最高に嬉しいです
そして、随分遠い町から来てくれてる人も、たくさんいるみたいです 北海道とか、九州とか、大阪とか 感謝してます
今日はここ何年かのうちで作ってきた歌のなかから、特に自分の中で大切にしている歌を選んで、今夜歌いつくしたいと思って、います
次の曲は新しいアルバムからなんだけど
新しいアルバム、もう聴いてくれた?
その中から、去ってしまった、愛しいひとへ」

(81年下期のコンサートはホント東京近辺が少なかった・・・(涙)、“特に自分の中で大切にしている歌”このセリフで僕にとってはこの日のリストの曲たちには特別な思いを持つことになりました)

ハンドマイクを手にしっとりと・・・

5.『愛という名のもとに』

でした
よく、この日の写真が雑誌などに掲載されている
白いシャツにレザーパンツの絵はこのときのものだと思うのですが・・・
ギターは無し、ジャケットを脱ぎ、白いシャツが少しはだけていました
続けて

6.『モダンガール』

この時点で僕は手拍子がかなりしんどくなってました(汗)
鈴木の俊ちゃんのドラムも江沢さんのベースもものすごく早いのです(大汗)
恐らくみなさん本当にあがっていたのだろうと思います(だからアルバム『ON THE ROAD』からは外されたのだろうと今でも僕は思っています)
「どうも、ありがとう 今日、今日初めて俺のコンサートに来てくれたっていう人、手を叩いてくれる?
初めまして、浜田省吾です
バンドはTHE FUSEです
・・・この前、タクシーに乗ったときに、運転手さんがね、
“お客さん、芸能人でしょ?ニューミュージックですね。僕けっこうねぇ詳しいんですよ海援隊とかオフコースとか。ところで、お客さん、なんていうんですか?”
運転手さん、知らないと思うなぁ。俺、テレビとかラジオとか、あんまり出ない、というより、出させてもらえないんで、知らないと思うなぁ、って言うと
“ゆってみてください。僕詳しいんですから”
そうですかぁ?浜田省吾
“ヤマ、ヤマダ、ヤマダショーゴさん!?”
いや、ハマダショーゴ
“はぁ、はぁ、はぁハマダショーゴさん!サングラスかけてるから、わっかんなかったなぁ”
えー、非常に悔しかったんで、あ、そりゃ失礼しました、じゃはずしますって、バッとはずじたんです
“あ!ホントだぁ、浜田省吾だ!”(けっこうやってるこのネタですが、お約束で会場大ウケです;苦笑)
・・・まあ。トレード・マークになってるんで
何人かのひとは、初めて来てくれたひとの中で何人かのひとは、浜田省吾のデビュー曲は『風を感じて』ではないかと思ってるかも知れないけど、(小笑)
次の曲はそんな新しいお客さん、そして古くから応援してくれているお客さんのために、古い昔のアルバムから歌おうと思います。
まだ、渋谷のJEANJEANとか、LOFTでやってた頃、町支クンと二人だけで、あ!ギターの町支クンです。
彼と二人で生ギターでやってた頃作った曲です。『ラブ・トレイン』っていう2枚目のアルバムから、この歌を・・・若い恋人たちのために」
オベーション・アダマスを手に

7.『君の微笑み』

(この曲のイントデュースはどうなんだろ!?恋人たちのために・・・う〜ん;自分たちのことを考えてしいました。苦笑&汗)
「どうも、ありがとう
この会場でコンサートを見たことっていうのは、何度もあるのね
ニール・ヤングとかボズ・スキャッグスとか、たくさんのコンサートを見に来たんだけど
いつも、あまりいい席が取れなくて、3階席の上のほうから見てるんだけれども、ときどき、遠くのほうから見ると、凄く、疎外感っていうの、ひとりぼっちの気分におちいる時があるのね
・・・ひょっとして今日も、何人かの、かつての俺のように内気な、シャイな男の子、いるんじゃないかと思って、ちょっと心配しているんだけど。
そんな淋しがりやの男の子に、この歌を」

8.『悲しみは雪のように』

(最新アルバム、1981年の9月の発売だったので僕はコンサートでこの曲を聴いたのはこれが初めてでした。そして、このアルバムで当時一番好きな曲でした)
続けて

9.『いつわりの日々』

「2週間前に、29歳になりまして(拍手、歓声)そんなに拍手するほどのことでもないんだけど
今年は20代最後の年っていうことで、感慨深いんだけど
二十歳ぐらいまでの俺っていうと、俺は、みんなとは違うんだ!みたいなね、
きっと、自意識過剰の子供だったろうなと思うわけで、22か23過ぎて、だんだん、俺ってみんなよりアホなんじゃないかと思ってきて、やっとその頃から少しはひとに優しくなれたりとかね
そうゆうふうになれたんだけど。
最近は鏡に映る自分の顔を見て、出てくるのは、答えじゃなくてね。なんか、どおしてぇ、とかね。なんなのだ、とか、そう言う疑問ばっかりで。
ま、その分だけでも歌もたくさん作れるような気がするんですが・・・
思い出の曲をみんなに贈りたいと思います」

もちろん、この曲
10.『路地裏の少年』

「今日、ちょっと長いコンサートになるけど、いいかな?」
会場に向かって問いかけました
(場内、歓声が大きく沸きあがりました)
「朝まで、まだまだ、だいぶあるし、君のやりたいことを、好きなだけ、朝まで・・・」

11.『ラストショー』

イントロが始まった瞬間
おぉーの声が一際大きく響きました

12.『片想い』

「よく、ひとに、どんなふうに歌を作るのかって聞かれるんだけど、
本当はね、信じないかも知れないけど、本当は俺ってしゃべるの苦手なのね
で、友達とか好きな人とかいても、いつも、いつもなんか言葉が足りなかったりとか、とんでもないこと言ったりとかね
で、一人で部屋に戻って、あのとき、こうゆうふうに言えば良かったのになぁ、あっ、こうゆうふうに言えば解ってもらえたのにとか
そうゆう事が歌になるのね
で、ほとんどの歌っていうのは、この人のためにとか、あの人のためにとか、そういったプライベートなもので
今歌った『片想い』っていうのは、ある女の人から、ある男のひとに向けて歌った歌です
そして、次に歌うこの歌は、その男の人が、その女の人に向けて歌った歌です」

13.『陽のあたる場所』

・・・まだ 若かったころ
貧しくて 淋しくて
すぐ 目の前にある なぐさめを
愛だと思い
夢中になれるものを 夢だと思って
手に入れてしまう

だけど やがて 少しずつ
おとなになってゆき
初めて 本当の愛や
本当に欲しかったものに出会ったとき
ひとは ときに
そこからは 遠く
離れてしまっていることがある

どうか みんなが
そして 僕も
真実の愛や 本当の夢に巡り合えて
それを
手にすることができるよう
祈ってます

・・・愛だけ、愛だけ見つめ・・・

曲中のこの台詞で満席の会場は本当に静かになりました
(僕は省吾が「僕も」と言ったところが広島訛りだったので、何故か凄く親近感が増したのを覚えています;笑)
「ゆうべ夜遅く、このステージが組み立てられているのを見て、
ああ、いろんなひとに支えられてコンサートをやっているんだなあ、と改めて思いました
いいスタッフやミュージシャンに囲まれて、やっとスタート・ラインに、ここまでやってこれました
できる限り、これからも、遠くへ走っていきたいと思います
そして、それを支えてくれるのは、何と言っても、今日来てくれている、みんなです
よろしく!! OK?」
大歓声のなかカウントです
ONE! TWO! THREE! マグネシウムの大きな光が閃きます!
もちろん僕も、周りのみなさんも恐らく一人残らず一斉に立ち上がりました

14.『終わりなき疾走』

ここからギターが一本増えました!水谷公生です

続けて

15.『独立記念日』

Highscool Jail wow wow wo Highscool Jail
リズムだけになり、会場は手拍子が大きく響いているなか
FUSEのメンバー紹介です
「どうもありがとう
今日まで一緒に走り続けてくれたバンドのメンバーを紹介します
ドラムス・・・鈴木俊二(立ち上がって片手を挙げました)
ベース・・・江沢宏明(丁寧にお辞儀)
キーボード・・・一戸清(前に出てきました)
ピアノ・・・ピアノ・・・板倉雅一(省吾に促されてステージ中央へ)
そして
ギター・・・町支寛二(両手を挙げてガッツ・ポーズ)」

16.『反抗期』

この3曲の並びは絶妙です!そして

「今夜、みんなに、ひとつだけ、聞きたいことがあるんだけど、答えてくれるかい?」
「ロックンロールは好きかい?」(大歓声)
「行くよ!! One Two!!」
そして、会場が(もちろん僕も)One Two Three Four!!

17.『東京』

レコードと違うじゃんと不満だったはずのこの曲でしたが、この日だけは満足でした(苦笑)

17曲めの『東京』で最高に盛り上がったなか、ステージから客席方向へライトが走り回りました
歓声とその眩しい光のなかで

18.『愛の世代の前に』

会場内の照明が瞬くように点滅しました
そんな中、〜愛の〜で、大きく右腕を振り上げる方が周りにちらほら、そのアクションはすぐに会場全体に広がり、会場は一体化していました
(81年9月にアルバムが発売されていて、地方ではこの曲はすでにおなじみだったりしますが、僕もそうでしたが、東京近辺ではお初のかたも多かったからでしょうね)

この曲の終わりとともに光の中、省吾もFUSEメンバーもステージをはけていきます
そして・・・ステージには“I was born in 1952”と白い文字が出ていました

かつて無いほどの大きなアンコールが省吾を呼びます
最初はあちこちでバラバラでしたが、程なく会場内は一体化していました

メンバーとともに再登場した省吾は深々とあたまを下げ
「どうも、ありがとう!!
一緒に歌ってくれるかい?(Yeah!!)
一緒に踊ってくれるかい?(Yeah!!)
OK!!」

19.『あばずれセブンティーン』


20.『Highscool Rock&Roll』

びっくりの行動は町支クンが板倉クンの弾くピアノの上に飛び乗ったことです(驚)
煽るように板倉クンも踊りながら弾いていました
客席に向かってマイクを突き出し歌を求める省吾
会場も大声でそれに答えていました、もちろん僕も(苦笑)

「今夜は、どうも、ありがとう みんな、とってもステキだった!!」

再びステージを後にする省吾たち

当然、僕たちはアンコールしました
(当時はアンコールの熱さでステージに戻るかどうかが決まっていたんだと今でも僕は信じています)
そして・・・
省吾がマイクに

「どうも、ありがとう なんていったら良いのか・・・
よく、わかんないけど 感謝しています
また、どこかで、みんなに、会えたら、嬉しいと思います
どうも、ありがとう」
ピアノの音が・・・

21.『ミッドナイトブルートレイン』

〜カーテンコール ステージライト ざわめき 今でも ほてる体〜
ここでアクシデントが、省吾のギターのストラップが外れてステージ上に落ちてしまったのです!?
このときの音は今もアルバムに刻まれていますね
慌ててステージ袖からローディーさんが駆け寄ろうとしたのですが、省吾はそれを制して
ストラップを脇にギターを持ち上げ、自分の胸に抱きかかえました
〜ギター抱えて 夜汽車に揺られ 次の 街まで ただ眠るだけさ〜
演出ではない演出、有り得ない最高の演出となってしまいました
(のちにこれを思い出させるかのように省吾はこの曲でギターを抱える演出を始めましたね)
静寂のなかこのアクシデントのお陰で、叫び声が響きました
〜ミッドナイトブルートレイン 連れ去って ・・・〜
左腕でギターを持ち上げた省吾 やがて曲が終わり終焉・・・

客出しの曲(のはずの「防波堤の上」が流れはじめました)

しかし、会場は必死で省吾を呼び出します!!

すると、BGMは止み
省吾の声が
「俺にとって、終わってしまうことが、惜しいような、夜です
もう一曲。みんなと一緒に、歌いたいと、思います 一緒に踊りたいと思います」
会場全体が拍手・・・手拍子になりカウントしました

22.『ラスト・ダンス』

客席の上を幾本ものライトの光が僕たち会場を照らし出すかのように動き回ります
誰もが、曲にあわせ
〜もういちど 踊っておくれ このままで〜

再びアンコールしましたが、そんななか、僕は会場に流れるアナウンス
「本日は 浜田省吾 コンサートに・・・9400人」を呆然としながら聞いて、その日の会場が9400人も居たのかと知ったのでした

1982年1月12日 於:日本武道館 開演18:45 終了21:02 全22曲 9400名